フランス料理の歴史

フランス料理〜温故知新〜

1858年(安政5年)の日仏修好通商条約調印から数えて、今年は日本とフランスが交流をスタートして150周年という記念すべき年である。
正式に国交が始まって、「まだ150年しか経っていない」ともいえるだろう。

特に、フランス料理が一般に広く伝わったのは昭和に入ってから、それも昭和の半ば以降だという説もある。昭和45年の万博以前の日本の西洋料理には、フランスもイタリアもスイスもなく、各国の名物料理が「西洋料理」や「洋食」と呼ばれていた。

故・辻静雄(辻調理師専門学校創始者)の著書『美味礼讃』に「(万博は)催し物好きの日本人を惹きつけ空前のブームとなったが、同時に日本における西洋料理の普及と言う点でも大きな役割を果たした。ヨーロッパ各国の政府館に、それぞれの国の自慢料理のレストランが設けられそこを何十万人もの人々が訪れた。中でも、フランス館のレストランの前には朝から行列ができ、何時間も待たなければ入れないほどであった」との記述が残っている。

70年代〜90年代にかけて活躍し、日本フランス料理界の双璧と言われた名シェフ・小野正吉(ホテルオークラ)や村上信夫(帝国ホテル)が、一般の人々にその名が浸透しだしたのも昭和の半ば頃からである。

現在に至っても、一部の美食家や料理関係者を除いて、私たちはまだまだフランス料理というものを理解し身近に捉えていないような気がしてならない。
中国料理やイタリア料理ほど、フランス料理が家庭で作られる機会が少ない点からも、その片鱗が窺える。

まだまだ浅い日本におけるフランス料理の歴史を知ることで、現代フランス料理の捉え方、関わりの形を提案すべく、このコーナーでは次のようなことを探って行きたい。

『幕末の頃の日本人は、フランス料理というものをどのように受け止めたのか?』
『西洋料理から脱却して、フランス料理として確立していくまでの過程はどのようなものだったのか?』
『一般庶民がフランス料理をするようになったのは、いつ頃なのか?』
『結婚式や、公式の行事の際の食事にフランス料理は用いられるが、それは何故なのか?』

この150年間に、フランス料理というものが日本にどのように伝わり、どのように根付いていったのか…を紐解くことで、きっと新しい時代のフランス料理のあるべき形が見えてくるのかもしれない。

2008年9月

プレジール・ドゥ・ラ・ターブル
主宰 米津 春日

※ 参考文献 「初代総料理長 サリーワイル」 神山 典士著